「山頭火句集(一)」(種田山頭火)

身軽になれ、と山頭火に諭されている

「山頭火句集(一)」(種田山頭火)
 山頭火文庫

ときどき山頭火の句集を
読みたくなります。
なぜか?
山頭火が私とは対極にあり、
私には真似できない
山頭火の生き方に
憧れてしまうからだと思います。

木の芽草の芽あるきつづける
どうしようもないわたしが歩いてゐる

山頭火は歩き続ける
放浪の人なのでしょう。
一つところにとどまることを嫌い、
流離いの果てに生みだされた句が
いくつもあります。
しかしそれは漂流ではありません。
自分の意思で歩き続けているのです。
どこまでも歩き続けようとする
前向きで固い意志が
句に漲っているように感じます。

さて、どちらへ行かう風がふく
一つもいで御飯にしよう

山頭火は身も心も
身軽な人なのでしょう。
物質的な荷物もなければ、
縛られるべき俗世間との関係もなく、
何よりも魂が軽かったのだと思います。
深く考えすぎて行動が遅くなる私は、
そんな身軽さを
羨ましく感じてしまいます。

分け入っても分け入っても青い山
かすんでかさなって山がふるさと

山頭火は自らを
自然と融合させた人なのでしょう。
自然のある田舎が好き、
と口で言っても
アルミサッシで囲まれた
家の中に住んでいる私には
ほど遠い境地です。

へうへうとして水を味わふ
ひとりひっそり竹の子竹になる

山頭火は本質を見抜く
眼力を備えた人なのでしょう。
人が生きること、死ぬことの意味を
問いかけてくるような句が
いくつも見られます。

生死の中の雪ふりしきる
いつとなくさくらが咲いて
        逢うてはわかれる

山頭火は哀しみを
内側に湛えた人なのでしょう。
孤独・別離・哀惜、そうした念が
漏れこぼれたような句にも
心を打たれます。

私は若い時分、
山頭火の生き方に羨望を覚えながら、
そうした生き方をする
勇気も技量もなく、
今に至っています。
何よりも家族と離れるのがいやです。
だから単身赴任を避けて
今まで勤務してきました。
放浪など到底できそうにありません。

いや、それ以前に
抱えている「モノ」が多くなりすぎて、
それも身動きできない
一因となっています。
増え続ける本とCD。
私生活に大きく入り込んだネット。
書斎を離れて生活することすら
難しくなってきています。

身軽になれ、と山頭火に
諭されているような気がしています。

(2020.7.10)

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